昨日は1時間半、立ってソロを弾いた。
より発声の良い、いつもの楽器より重い方を使ってみた。
今まで演奏する時は内省に近い感じで、自分に向けて弾いていた気がする。
それもまた好きではあるけれど、立って弾くと客席に向けてダイレクトに音を発信していると感じる。
昨日は能登地震への義援金を募るフリーライブだった。
CDを販売し、その売り上げを全て寄付したのだが、そこで演奏した意味は単にそれだけではない。
「音楽家として何か一つ、新しい試みをしてほしい。」
主催のバスキングジャパン・戸田さんからのリクエストから、立ち弾きをすることを決めて、毎日練習を続けた。
ストラップがなく、蛇腹を目一杯使いながら演奏するソロを立って演奏するのは、身体的には苦痛としか言いようがない。時に呻きながら、蹌踉めきながらの1時間半。終演後は放心状態。
お客さんも悪天候のためか少なかったが、ひとりひとりに今できる、目一杯の音を届けられたと思う。特に初めて聴いた方から、熱い感想をいただいたのが嬉しかった。
必死でやるしかなくて、それを無我夢中でやり続けた時、人の心は、きっと、動く。
その時、伴奏や踊りのための演奏だったものが独り立ちして唯一無二の存在になる。
どうせやるなら、突き抜けろ。
盲目の津軽三味線奏者・高橋竹山のように。
最後は一本足で弾く私の後ろ側から見守ってくれていた戸田さんから、こんな感想をいただきました。
世の中の動きとアートや音楽は少なからず連動している。
そうでなければそれはただ、「職業としてこなすだけの」音楽家に過ぎないのだ。
戸田さんの静かで強い言葉は、いつも自分をあるべき姿に戻してくれる。
勇気づけられる。
励まされる。
大勢の人でごった返す渋谷の街を楽器2台と機材、30キロはある荷物で地下鉄移動。
ひたすらの肉体労働だったけれど、気持ち良い一日でした。
これからの自分のターニングポイントになったライブだったと思います。
孤独であれ。必死であれ。唯一無二であれ。