なぜ、アニバル・トロイロはブエノスアイレスでこんなにも愛され、尊敬を集めるのか。
このドキュメンタリー映画が全てを物語ってくれます。
9月24日(土)長津田緑アートパークホールにて、上映会とトークライブが決まりました。
直近では5月14日(日)入間の古民家レンタルスペース遊喜のオープニングイベントで短縮版をラフな形で上映します。
ピチューコ(トロイロの愛称)はタンゴの神様、そして彼のお誕生日7月11日は国際バンドネオンデー!
そんなどえらいど真ん中の王道に、なんでよりによってキミヨさんが関わってるの?柄にもなく!
という声が聞こえてきそうです。
私も最初、そう思っていました。
でも、孫のフランシスコの話によると、トロイロは貧しく音楽大学にも行けなかった。
独学で学び、酒や薬や色々あったけれど、決して魂を売らなかったと。
流行やこうすれば売れる、という考えでたくさんの音楽家が現れ、消えていったけれど、トロイロは決してそうはしなかった。
いつも歌手やダンサーのことを真摯に考え、彼らのために曲をたくさん作った。
バンドネオン奏者であり、たくさんの曲を残した作曲家でもあったんだ。
なんとなく、君と似ているんだよ、と。
フランシスコとはじめて会った時、トロイロのバンドネオンを手渡されても私はタンゴの名曲を弾きませんでした。
私は自分の曲を延々と弾き、それを彼はじっと聞いていました。
そして、一緒に行ったカフェトルトーニで、私の曲の感想を丁寧に述べてくれたのでした。
彼のピチューコの楽器での日本ツアーの申し出を、最初、私は断りました。
しかし、彼と接するうちに、これは、、、、やるべきじゃないかと。
タンゴのエライ人のファミリーの持ちかけてきた云々、ではなく、もっともっと大きな、音楽の魂のようなものを感じ始めました。
そして、この映画の日本語字幕版を制作し始めました。
スペイン語が訳されていき、この映画の具体的な意味もわかってきた。
今ではもうあまりありませんが苦笑、知られている曲を弾いてほしいとか、タンゴの名曲でコンサートを構成してほしい、と言われると辟易とします。
その名曲を作曲した当時は、新曲でした。
もちろん、良い曲だからこそ、後世に残ったのですが、私はトロイロに対して、リアルな音楽家の魂を感じたのでした。
自分のスタイルを信じて、流されずに音楽を続けるのがどんなに大変なことなのか。
そして、どんなに嬉しいことなのか。
もう一度、この映画を見直してみようと思います。
孫のフランシスコと、映画監督のマルティンに久しぶりに報告したところ、2人ともとても喜んでくれました。
懐かしいなあ。
トロイロは藤沢蘭子さんからキモノを贈られたそうですが、この写真はツアーの合間、福島の温泉での撮影です。
見事なGord腹はおじいちゃん譲りかな笑。いい笑顔!