鰻と多文化

コンサート・ツアー情報

来年2月17日に川崎市の多文化フェスタでの演奏についての打ち合わせ、と称した「浦和で鰻を食べる会」にお誘いいただきました笑。

二段重ねの鰻重を頂き、感激!もう、今年の夏を乗り切れる自信がついた!

美味しい鰻をいただきながら、音楽、旅、アルゼンチンやフランスでのお話を。

お誘いいただいた実行委員の方も海外赴任歴が長い方で、興味深いお話をたくさん聞くことができました。いやー、類は友を呼ぶ笑。

お借りした本。

まだざっくりとしか読んでいませんが、「これでよかったのか、日本人のタンゴの愛し方」という章がとても面白い。私が長年抱えていた疑問と全く同じ意見が書いてありました。

日本のタンゴバンドは「アルゼンチンのバンドと寸分違わぬ演奏」をすることで評価されてきた。完コピをいかに上手に演奏し、「アルゼンチン人」になれるか。今でもそれを求められている気がしますが、私はこの考えには馴染めませんでした。

自分は日本人であり、音楽家です。タンゴを勉強し、演奏することは、自分自身の表現をするための過程であり、そこから今を息づく音楽を生み出したいと思っています。「アルゼンチン人」になりたいわけではないのです。タンゴだけではなく、自分が生きてきた中でたくさんの音楽に触れてきた。バンドネオンという楽器を選んだ以上、この楽器のアイデンティティーであるアルゼンチン音楽は一生学び続けるものだと思ってはいます。でも、一番大事なのは、「自分自身の音楽」です。

言ってみれば、私達一人一人がもうすでに、「多文化」なんだと思います。

バンドネオンを始めた当初は作曲することはもとより、アドリブも即興も受け入れられませんでした。それって、おかしいよね?古典タンゴだって誰かが作曲したんだし、と、普通に思っていましたが。タンゴがいまひとつ普及していかなかったのは、この考え方にもよると思います。

一から作り出すことよりも、模倣がうまい日本人。誰かと同じように上手に弾けることに価値を見出すけれど、オリジナリティーは否定する。

文化はクロスオーバーし、それが化学反応を起こしたときに生まれる。タンゴも、そうだったはずです。アフリカのリズム、ヨーロッパのメロディー、それは南米の歴史です。

とりあえず、日本で認識されている特に歌物の歌謡「タンゴ」は「アルゼンチンタンゴ」ではなく「コンチネンタルタンゴ」に近いです。そのため譜面はアコーディオンのフレーズで書かれています。クロマチックな動きは音域によってはバンドネオンにとって結構地獄だったりします。楽器の構造、全く違うんで。その辺は多分、戦前普及したクロマチックバンドネオンなども絡んでいるのかもしれない。これも多文化、の一種でしょうか笑。勘違い、なども含めて。

私たちが大好きな「鰻」もどこかの国では、「なんじゃこりゃ!」かもしれません笑。

そこが、面白いんです。

タイトルとURLをコピーしました