私はショパンが好きじゃない。
正確に言えば、ショパンの音楽は美しく素晴らしいが、一般的な「ショパンぽい」感傷的で感情過多な演奏が嫌いだ。
技術があればあるほどその表現があざとく感じられるためにゲンナリし、聴く気がしないというのが正直な気持ちだ。
映画の中でブーニンが日本の若手ピアニストのレッスンをするシーンがある。
彼らはすでにコンクールを勝ち抜いてきている気鋭の奏者だ。
テクニックはすでに、ブーニンを上回っているかもしれない。
でも。
映像越しに聴いても彼らの音には何の色彩も感じられなかった。
そしてあの、「嫌な感じ」だけが残った。
その時のブーニンの言葉。
「本質的なことを除いて、過剰な干渉や感情を演奏に持ち込むべきではない。楽器に対して素直に、率直になるべきだ」
この一言で、長年の「何でショパンが好きじゃないと思ってきたのか」の謎が解けた。
まるで霧が晴れたかのように思えた。
「ショパンぽい」「タンゴっぽい」とよく言われるけれど、誰に対して、何に対しての「ぽい」なのか。とよく思う。
そしてその認識はほとんどの場合、偏見に過ぎない。
ブーニンがショパンコンクールでぶっちぎりの優勝を成し遂げたのは、ショパンの楽曲に対する意図を突き詰めた上で、誰に媚びることなく自分自身の表現を堂々と演奏したからだ。
「私ならその左手はこう表現する」とブーニンが弾いた1フレーズは確かにキラキラしていた。
これが人真似ではない「自分の演奏をする」ということだ。
「人に感動を与えられる、美しい演奏がしたい」
病気、怪我、左手の麻痺、大手術を乗り越えたブーニンの表情は神々しかった。
そして、「左手の正しい響きがどうしても出せない」と、多分企画側のリクエストであっただろう「別れの曲」を彼は断じて演奏しなかった。
権力に「所有」されることを望まず亡命した彼の魂は、本物の芸術家だと感じた。
