コロナ禍からのMJUとの交流は続き、2025年2月にはアンスティチュ・フランセとベトナムの失業者やストリートチルドレンを支援するNPOとの共同公演を含むベトナムツアー、4月南仏ツアー、そして11月には南仏でのレコーディング&ツアーという濃密な時間を過ごしました。
リハーサルとツアーを重ね、音楽的にも進化し続けています。
私たちの活動は日本語で「長距離」プロジェクトと名付けられました。
日本人からすると奇妙なネーミングですが、コロナ禍を経て5年間、海を渡って直接、音楽の交流を続けてきたという意味合いがあります。
現地でも国境と距離を超えた私たちの音楽活動は、高い評価を受けています。
また、フランス人としてはChokyoriは発音しやすいという理由もあるようで、日本語を楽しんでくれてうれしく思っています。
個人的なことになりますが、2024年10月にがんを告知され、その後手術、放射線治療を受けました。
告知された時は大きなショックを受けましたが、翌年2月のベトナム公演に向けて必ず復帰すると決意。
スケジュール的にはかなり厳しいものでしたが、「ベトナムでMJUと再会する」ことを心の支えにリハビリも頑張ることができました。
日本、フランス、ベトナム共同のステージは心に残る、素晴らしいパフォーマンスでした。
その後すぐ、4月の渡仏。1ヶ月の南仏での充実した日々。
リーダー・Emmanuel de Gouvelloの新曲も加わり、長い時間をかけての現地でのリハーサルと本番で、音楽的にも深まり、また、メンバーとの家族ぐるみでのお付き合いでがん闘病で弱った身体と心が回復していくのを感じました。
この時のメンバーの優しさと、フランスの春のロゼワインのおいしさは忘れられません。
この身体で、ちゃんと演奏ができるのか。
でも、この時の私の演奏にメンバーたちは今までと違う「何か」を感じ取ったようです。
この時、日本ツアーの打診を受けました。
正直にいうと、最初、一度断りました。
個人のアーティストがメンバー4名、マネージャー1名、音響1名、6名のフランス人を招聘してツアーを企画運営するのはあまりにも大変だからです。
2023年のツアーは大成功に終わりましたが、そのために1年半ほどかけて準備をしました。
まだ日本ではコロナ禍の名残で仕事が少なかったので時間はあったものの、全国9会場に何度も出向き、チケットを売り、各会場と打ち合わせを一人でやるのは限界があります。
また、興行ビザの取得についても不安がありました。
闘病後のため、あまり無理をしたくないこと、医療費がかかり働けない時期も続いたため、蓄えも少なかったことも理由の一つです。
マネージャーと話し合った結果、「私の企画運営担当は2会場のみ、あとはミュージシャンとして参加」という条件で日本ツアーへの参加を決意。
その後、彼女は大阪で「海外と日本のアーティストを結ぶ」活動をしているShalestone Musicとコンタクトし、契約します。
アメリカ人のDuane Levi氏の事務所が、5ヶ所のブッキングを請け負うことになりました。
また、興行ビザについての手続きも、今回はマルセイユ領事館経由でしてもらうことに。
個人である私が申請するよりも、確実だという判断です。
事務的な仕事を分担し合うことで、日本ツアーが具体的になってきました。
この時の彼女の、「とにかくやれることをやって前に進む」という姿勢に、私は大きく感動しました。
そして、「もう一度日本に来たい」という強い気持ちに、心打たれました。
11月の渡仏直前には免疫が落ちていたせいか、コロナに感染。
なんとか薬で熱を下げ出国の許可を得ましたが、どうやって南仏までたどり着いたのかあまり記憶がありません。
しかし、ステージでは、メンバーと「音」で深くコミュニケーションが結ばれていく感触がありました。
そして、レコーディング。
私たちの5年間の集大成が、形になろうとしていました。
このアルバムを日本のみんなに聴いてほしい!
心から、そう思いました。
そして、2023年の日本ツアー横浜会場の「横浜市港南区立ひまわりの郷ホール」、福島会場の「開成山大神宮」に打診したところ、快く受けていただきました。
ひまわりの郷はホール主催、そして横濱JAZZ PROMENADE参加公演に。
開成山大神宮では、音楽で福島の復興に貢献していらっしゃる宮本宮司さんのご協力で、郡山キャナル国際音楽祭共催公演となりました。
こうして日本ツアーが動き出したのです。
マネージャーのElizabeth Rileyのおかげで、無事興行ビザも取得できました。
すでにたくさんの皆さんのご協力を得て、日々プロジェクトが進んでいます。
感謝しかありません。
(クラウドファンディングプロジェクトページから抜粋)







