当たり前だと思っていることは本当は、「当たり前」なんかじゃない

日々想うこと

冷蔵庫なし、洗濯機なし、掃除機なし。

電化製品を極力持たない生活。

壊れた時に買い換えるのをやめてみただけなので、いつからかははっきりしないけれど、もう7、8年は経つと思う。

今でも何の不自由も感じないばかりか、むしろその「不自由さ」が楽しく、学びも多い。

冷蔵以外にもさまざまな食品保存方法があり、発酵、乾物、缶詰などがめちゃくちゃすごかったり、

常温の飲み物が身体に優しかったり、

細菌が活発に動き出し、カビが生えるのは25度なんだとリアルに感じたりする。

手洗いだと衣類が痛みにくかったり、

掃除機よりほうきの方が素早く綺麗に時間を選ばず掃除できたりすることに気づく。

もちろん、すぐそこにスーパーやコンビニがあるとか、コインランドリーなど都市部ならではの便利さも享受しながらなので、特にストイックな仙人のような暮らしをしているわけではない。

でも、昭和30年代では、これが普通の暮らしだったはずだ。

高度経済成長期に生きた人々は、もっともっとと求めまくり、それによって這い上がり成長してきたのだと思う。

それがあっての今の日本だというのもわかる。

でも。

もう、「引き算」で生きていく時代ではないのかなと。

今に感謝し、「足るを知る」ということ。

モノではなく、自分の頭と身体を使って経験することがどんなに豊かか、ということ。

あれから14年。

震災直後のあの、感覚を、いつまでも忘れたくないと思う。

コロナ禍しかり。

個人的にはがん告知の経験も、当たり前だと思っていることは本当は、「当たり前」なんかじゃないってことを、思い出させてくれた。

今日の日に、祈りを込めて。

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