カフェ★ラバンデリア、トランジスタプレス主宰、詩人の佐藤由美子さんが昨夜、旅立たれました。

コンサート・ツアー情報

公式な告知はまだされていませんが、パートナー・フジモトさんから連絡をいただきました。お電話した様子だと諸々非常に大変そうなので、少しでも共通のお知り合いの皆さんへのメッセージになればとお伝えします。

由美子さんは昨晩22時前、何度か呼吸をしなくなった後、静かに息を引き取られたそうです。

約2年、脳腫瘍との闘病。編集、翻訳などバリバリこなされていたのに、最終的には文字を認識できず、書けず、話せずという状況。どんなに辛かったか。

しかしそんな状況でも、やっぱり、由美子さんは強かったし、自分の意志を持って生きていた、そう思います。

励ますつもりが励まされ続けてきた

ここ2年、ちょうどコロナ禍の被りますが、由美子さんに会いに時々ご自宅へ行っていました。昨年のクラウドファンディングの際は支援してくださった方への返礼品として、素敵な詩集も制作しました。お手元にある方も多いと思います。デザインはフジモトさんです。

コロナ禍もあり自分も失業し、落ち込んでいる時期でもありました。いつも、励まそうと伺うのですが、逆に励まされることが多かったです。

由美子さんの口癖「ヤロウヨ」。やろうよ、誰もしていないこと。きっとできるよ。一緒に。

昨年11月のパリでは、シェイクスピアアンドカンパニーという素晴らしい本屋さんとのご縁をいただき、何度もそこを訪ねました。

この本のつながりで、スタッフのクリスタさんと、素敵な時間を過ごしました。

パリが大好きだった由美子さん。

楽しい思い出もたくさん

クスクスが好きだった由美子さん。

車椅子で表参道にお買い物に行ったり、新宿ゴールデン街や花園神社、コアな都営住宅を見に行ったり。その度にフジモトさんが可愛い帽子や服を着せておしゃれさせてあげてたっけ。

ゆっくり休んでほしいと思う

今は、悲しいというよりも、ゆっくりお休みしてほしいという気持ちが先立ちます。

最後は寝たきりになって食事も食べられず、身体中にチューブが付けられてた。苦しかったと思う。もう自由になったんだ。そう考えたい。

これは、文字が書けなくなった頃に必死でパリの友人に手紙を書こうとした紙です。ここまで書くためにどのくらいの時間がかかったことか。でも由美子さんは、頑張った。

バックパッカーで、鉄オタで。ひとりでどこへでも言っちゃう。世界中に面白い友達がいて、そしてそばにはいつもフジモトさんがいて。

自宅で看取るということ

パートナーのフジモトさんは、由美子さんを病院ではなく自宅で看護することを決めました。コロナ禍、ホスピスや病院では面会制限があり、入院してしまうと自由に会えなくなるようでした。

一言で自宅で介護すると言ってもそれは、想像を絶することだったと思います。

いつも明るく、ユーモアを絶やさなかったフジモトさん。そして部屋にはいつも気持ちの良い音楽が流れ、由美子さんの視線の先には彼女が大好きな写真や画が、ちゃんと見えるように、配置されていました。

この2年間、由美子さんとフジモトさんに接してきて、本当にたくさんの気づきがあったし、胸が熱くなる瞬間も多かったです。

お話を聞くだけでも、本当に、壮絶な闘病生活でした。それもフジモトさんの想いがあってこその日々だったと思います。

どうか、体調に気をつけて。

お電話でも、自分のことよりこちらのことを、こんな時なのに気遣ってくださっていました。

これからのこと

これはフジモトさんから告知や連絡があると思いますが、大まかに今週の土日、ラバンデリアでお別れ会をするとのこと、

私はなるべく早く、ご自宅へ伺えるよう調整中。金曜日まではご自宅におられるようです。

由美子さんが残してくれたこと

昨年、病状が悪化する前に朗読の映像を残しておきたい。その音楽を、演奏してほしい。

そう言ってくれました。嬉しかった。

制作した詩集に収録されている数篇を、もう、文字が認識しづらくなっているにもかかわらずご友人のサポートを受けて必死に読み上げてくれました。

その、朗読のために書いた音楽が、‘La Chanson de Yumiko〜パリの下水道〜」です。

昨年、クラウドファンディングで制作したCDに収録させていただきました。ギターとアレンジは米山典明さんです。由美子さんが行きたかったパリ。街の雑踏と、大好きなシェイクスピアアンドカンパニーの内部の音やピアノを録音し、ミックスしました。

「La chanson de Yumiko〜パリの下水道〜」

由美子さんが私に残してくれたのは、音楽。そして、生きる力。

安らかに。

また、いつか、どこかで。

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